天王寺北口「花野」清潔感のある店内。正に角打、昭和の立ち飲みと呼ぶのに相応しい酒場だ。
常温の酒と燻製たまごを注文しキョロキョロしていると常連客の一人から「初めて?」と聞かれ、そうだと返答するとその常連客がアレやアレと指す方向にはこの店が紹介された新聞の記事が貼ってあった。
そのユニーク文章は関西人臭さが溢れていてオモロイ。
しかしながらその記事には何年やっているとは書いてなかった為常連客に聞いてみると店主らしき人物を指して↓
「そらもうこの人で三代目やからなあ...」
「じゃあ、もう200年ぐらいやってるんですねえ...」
と自分が少々ボケて返すと、
「そんなながいわけあるかい!」
間髪入れずに店中の客から突っ込まれ、大阪に来たことを改めて実感するのだった。(突っ込みのその鋭さスピードはセリーナウィリアムズのリターンエースの如し!)
ほろ酔いで大阪在住の知人に電話し呼び出したりして暫くダラダラおしゃべりしながら飲っていると...
「兄さんどこから来たん?どこの出身や?」
東京、山口県、と言うと右隣のおじさんが反応した。
「山口のどこや?」
「宇部です」
そのおじさんはボクの顔を覗き込みまさかの言葉を発したのだった、
「わしも宇部や ! 桃中や!」
「桃中!?」
「桃中や!わかるやろ!」
「先輩!俺も桃中出身です!」
なんと驚くことに天王寺の角打で隣り合わせになったこのタアちゃんというおじさんは僕の中学校の先輩だったのである。
ここから盛り上がりに盛り上がったのは言うまでもない。お互いに忘れかけている宇部市立桃山中学校の校歌を何度も合唱した。
こんなことがあるんやな... とお互いに喜び合う天王寺の夕刻であった。
「ここ、また来てや!」「ここで逢おう!」
何度もそう言われて天王寺を後にした。
◆
昼間やってなかった寺田町のオルクェスタ・デ・ラ・ビッチは夜はやっていた。花野から知人と移動しワインと何かをつまんで飲んだのだが、この辺からなんだか「ふわっ」となってしまっていつのまにかなんば発の夜行バスに乗っていた。大阪在住の知人が責任をもってバス乗り場まで送ってくれたのには誠に感謝である。
そこから爆睡したのはこれまた言うまでもない。
あれは全て夢だったのではないのか...
早朝、池袋サンシャイン前に停車したバスを下車しデジカメを確認すると写っていた。
タアちゃん、あの先輩と遇ったあの酒は夢ではなかった。
アディオス天王寺...。
完
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