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愛車のお話

自分の愛車を改めて調べてみると、

ホンダは'88年と'89年にタイなど東南アジア向けに開発及び販売し好評を得たタイ・ホンダマニュファクチュアリング社製の「ホンダスーパーカブ100」を94年3,000台、95年にカラー変更し2,800台を販売... とある。
テール部のカラーから自分のバイクは95年製ということになる。
1995年といえばストーンズはvoodoo lounge tourで来日した年、そしてなんと!
池袋バレルハウスが開店した年と同い年の目出度いバイクであったことが判明!(すごい!)

ぼくはバイクの免許を23歳の頃取得し初めて買ったのがSUZUKIのサベージという400cc単気筒のアメリカンバイクであった。(この頃は粋がってたねえ?)
その後車検代払うのもアホらしくなり..というか引っ越しに伴いバイク置き場がなくなるので売ることにした。その売った金で中古購入したのがスズキのバーディー50だったがそいつは買ったときから調子が悪くまもなく故障し廃車。
その後、中古だが100mも走っていないピカピカの特価品スーパーカブ90を練馬のバイク屋で見つけ即購入。バイク屋の店員が「こんなバイクが出回るから郵政民営化なんですよ!」と言っていたのが印象的だった。多分郵政職員が経費で購入し放ったらかし眠っていたバイクなのであろう。
しかしこの郵政お下がりバイクはある日アパートの駐輪場から忽然と消えてしまったのだった。
酔っ払ってどこかへ忘れて来たのかと我が目を疑ったが盗まれたのだと気づくのには少々時間がかかった間抜けなぼくはその日も二日酔いで.....。
すごく大事に乗っていたつもりだったがハンドルロックのみでカバーシートもしていなかったらこれ盗まれても仕方ないのですよ、そうです、後悔してもバイクは戻ってこなかったのは言うまでもない。
ぼくのバイクは東南アジアへでも売られていったのかなぁ?

途方に暮れていたそんさんでしたが、災い転じてフグとナス?
自宅の駐輪場から盗まれたということで火災保険が適用となり盗まれたバイク相当の金額が保証されるということにあいなりました。
ぼくは颯爽と山手通り沿い板橋区は熊野町辺りのバイク屋(現在はもうない)へ向かい、そこでで出会ったのがこのタイカブという訳である。

東南アジアへ売られて行ったバイク、そして東南アジアから来たバイク。
こんにちは、さようなら、さようなら、こんにちは。
今の国産バイクのエンジンは諸外国で組まれていてすぐ死んで行くとの悪評並びに20年以上前のホンダのエンジンはすごく丈夫だとの好評をよく耳にします。
これからもこの愛車タイカブ、大事に乗る所存であります。

タイカブに国産カブのシートをつけるにはこのシートヒンジを国産用に付け替えなければならない 交換したヒンジのお値段は約1000円ほど

上部の車体に固定するネジ穴の幅に対して
下部シート側のネジ穴幅が広いタイカブ

国産カブのシートのネジ穴は上も下も平行

新シート装着完了!


自慢のスマホホルダー、充電も可能

いざツーリング!




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2019新年関西へ②

友人に大津駅まで送ってもらい京都は太秦(うずまさ)へ向かった。
そこを選んだのには意味も理由もない。ただ安宿があったというそれだけである。
だがしかし、
宿のHPによれば「ドミトリー空き」だったにも関わらず満席だといので仕方なく四畳半?の個室3900円をチョイス。まあ安いし古民家を改築した外人請けしそうなまあまあ良い居心地。炬燵もキッチンも使ってるのは自分だけの貸切状態。
近所のスーパーでキャベツとキュウリ買ってきて琵琶湖で買ってきた山椒味噌を堪能。これがまあ旨い。竹輪、梅干、納豆、漬物を食べながら白ワインを飲る。
炬燵の部屋には石油ストーブとパソコン以外テレビも何もないのもよい。
消灯時間の23:30にはすっかり炬燵で寝てしまい管理人から揺すり起こされてしまった。
あいすいません、おやすみなさい。

翌朝5時起床。自分は旅に出ると何故か昼夜逆転の早寝早起きになる。
まだ暗い中いざ嵐山散策へ。大してどこへ行くわけでもない行きたいところもない、ただただ腹を空かせる為に早歩きでトレーニング状態の散歩巡礼。9時半過ぎに太秦に戻ってきて宿で遅めの朝食というか早めの昼食。昨夜の梅干、漬物と納豆の残りをサトウの麦飯にぶっかけインスタント赤だしと共に胃に流し込む。
さあ出発だ、一路大阪へ。

<つづく>



2019新年関西へ④

天王寺北口「花野」清潔感のある店内。正に角打、昭和の立ち飲みと呼ぶのに相応しい酒場だ。
常温の酒と燻製たまごを注文しキョロキョロしていると常連客の一人から「初めて?」と聞かれ、そうだと返答するとその常連客がアレやアレと指す方向にはこの店が紹介された新聞の記事が貼ってあった。
そのユニーク文章は関西人臭さが溢れていてオモロイ。
しかしながらその記事には何年やっているとは書いてなかった為常連客に聞いてみると店主らしき人物を指して↓
「そらもうこの人で三代目やからなあ...」
「じゃあ、もう200年ぐらいやってるんですねえ...」
と自分が少々ボケて返すと、
「そんなながいわけあるかい!」
間髪入れずに店中の客から突っ込まれ、大阪に来たことを改めて実感するのだった。(突っ込みのその鋭さスピードはセリーナウィリアムズのリターンエースの如し!)
ほろ酔いで大阪在住の知人に電話し呼び出したりして暫くダラダラおしゃべりしながら飲っていると...

「兄さんどこから来たん?どこの出身や?」
東京、山口県、と言うと右隣のおじさんが反応した。
「山口のどこや?」
「宇部です」
そのおじさんはボクの顔を覗き込みまさかの言葉を発したのだった、

「わしも宇部や ! 桃中や!」
「桃中!?」
「桃中や!わかるやろ!」
「先輩!俺も桃中出身です!」

なんと驚くことに天王寺の角打で隣り合わせになったこのタアちゃんというおじさんは僕の中学校の先輩だったのである。
ここから盛り上がりに盛り上がったのは言うまでもない。お互いに忘れかけている宇部市立桃山中学校の校歌を何度も合唱した。
こんなことがあるんやな... とお互いに喜び合う天王寺の夕刻であった。
「ここ、また来てや!」「ここで逢おう!」
何度もそう言われて天王寺を後にした。



昼間やってなかった寺田町のオルクェスタ・デ・ラ・ビッチは夜はやっていた。花野から知人と移動しワインと何かをつまんで飲んだのだが、この辺からなんだか「ふわっ」となってしまっていつのまにかなんば発の夜行バスに乗っていた。大阪在住の知人が責任をもってバス乗り場まで送ってくれたのには誠に感謝である。
そこから爆睡したのはこれまた言うまでもない。

あれは全て夢だったのではないのか...
早朝、池袋サンシャイン前に停車したバスを下車しデジカメを確認すると写っていた。
タアちゃん、あの先輩と遇ったあの酒は夢ではなかった。
アディオス天王寺...…

2019新年関西へ③

宿からの最寄駅は京福電鉄の帷子ノ辻(かたびらのつじ)だったのだが帰ってきてからネットで調べたところ平安時代初期の嵯峨天皇の皇后であった壇林皇后が亡くなった際の形見の帷子に纏わる話が駅名となっているのだと知った。
https://j-town.net/kyoto/news/localtv/197605.html?p=all
嵐山散歩の際にその壇林皇后が創建した日本最初の禅院「檀林寺」の前を偶然通ったのを思い出した。早朝過ぎて開門していなかったがそういえば門前の看板にそのようなことが書いてあった。そうそう、その辺りでこんがりトースト色の可愛いイタチにも遭遇したのだった。

帷子ノ辻⇒西院⇒桂⇒梅田

京福電鉄から阪急電車を経由し梅田へ出て、環状線に乗り換え寺田町で降りた。
寺田町を彷徨い住所をメモして来なかったが辿り着きたいその店を探すが60分程歩いても見つからない。真冬に汗をかきながら彷徨い色々道案内を聞くがその店は誰も知らないというので観念してその店に出演しているデルタブルースRに電話してみたら案の定「昼間は営業していない」と言われ愕然とし某串カツ屋で小休止することにした。まだ昼の11時半ぐらいで夜行バスは21時半出発である。
よし!と立ち上がり天王寺まで一駅歩くことにした。(この日は朝からよく歩いたもんだ)

悪名高い?アベノハルカスを横目に自分の嗅覚を信じて天王寺駅北口の雑踏に紛れ込んだ自分はその店を見つけ不敵にほくそ笑むのであった...
何の知識もなく偶然好みの店を見つけたときの喜びはどんな喜びにも代えがたいものである。
てな訳で「花野」という角打に初めて入店した。

<つづく>